代表理事就任のご報告

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こんにちは。しあわせさまさま代表の井手博史と申します。

2024年6月15日より総会の承認を得て、しあわせさまさまの代表理事を母井手祥子より引き継がせていただきました。

母井手祥子は会長に就任し、生涯現役を誓っていますので、これからも親子ともどもよろしくお願いいたします。

この場を借りて、私の経歴や思いをまとめておこうと思います。

奈良生まれ。6歳の時に石垣に転居。石垣中学校-八重山高校と石垣島で育ちました。比較的器用に楽しく育った半面、葛藤や無力感も多く感じていた子ども時代だったように思います。

心理学部や哲学のようなものに惹かれていたものの、『お金にはならない』『行っても無駄』との情報が当時は多く耳に入り、進路を決めきれずに、東京の予備校に働きながら通いました。

初めての寒さと仕事と勉強の両立もできず、何も決めきれずに、1年で石垣島に戻ってきました。

母の経営していたパン屋スリール(MVやいま店内のパン屋さん)で人目を避けるように夕方から働いていました。

うだうだ過ごすうちに母が脳内出血により倒れました。自分がうだうだと進路も自分で決められずうだうだしていたこともあり、不甲斐なさも相まって、本当につらく、今でもその時の話になると涙ぐんでしまいます。

その後私は、母の大事にしていたパン屋をせめて守り、元気に自分でまた、頑張ってほしい一心で、パン屋を続けていました。

そんな中、母は半身麻痺の体に困惑し、つらく戸惑う日々を過ごしていましたが、驚くことに、やがて、倒れる前よりも心穏やかに過ごせる日が増えてきました。

母はもともと、自分の体や時間を限界まで酷使していなければ、気が済まないと見受けられる生き方をしていました。そうせざる負えないような道だったのだと思います。私(子ども)からすれば、多く悩まされました。その酷使するような生き方が倒れた後から落ち着いてきました。もちろん多くの周りの方々からの応援があればこそではありましたが、母には半身麻痺がある事で生活のバランスが喜びに傾いていったのです。

母の生活も落ち着き、私の進路を母に聞かれました。「このままひろしがパン屋を続けてもいい。自分の好きなことを選んでもいい。」と。今までにない落ち着いた暖かい母の言葉、様子に深く感謝し、自分の人生を自分で決めなければと強く思うことが出来ました。この時からいわゆる”障がい”という言葉に”良し悪し”はないと考えるようになりました。

私は自身の育ってきた多くの心の動きを大事にしたかった為心理学部に進学を決めました。帝塚山学院大学の心理学部、大学院の臨床心理学専攻を経て、阪南福祉事業会(児童心理治療施設あゆみの丘、児童養護施設岸和田学園、児童家庭支援センター岸和田)に心理士として従事しました。

子ども一人の人間として、意思や考えを持って生きています。人生は選択の連続の中にあります。時には大きな選択に迫られることもあります。失敗することも多くあります。しかし、挑戦する事が、自分の人生の主導権を握る為には必要です。彼らは大人の物ではありません。自分を大事にする権利と責任があります。

石垣島に戻り、石垣市社会福祉協議会、相談支援事業所むゆる館の相談員に従事するうちに、

それは、障害福祉、大人、子ども、すべての人に言えることだと考えるようになりました。

全ての人生は凸凹です。障がい者の人生も凸凹です。それは大小の違いです。

僕も多くを悩んで生きてきました。めんどくさい面も多々あります。でも、できることで貢献して、皆と楽しく過ごしたいという思いで生きています。

僕は、就労継続支援B型しあわせさまさまをそんな場所にしたいです。メンバー、職員、みんな凸凹で、凸凸凸凹とか、凹凹凸凹凸とか、凸凸凸凹凸凹とか、きっと結構違うけど、同じところもあって、パズルみたいに組み合わせて、お互いさまさまで認め合って生きていきたいです。

NPO法人 しあわせさまさま

代表理事 井手博史